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のーと

Twitterの長くて正直なこと言ってる版みたいなものです

あいどらー

 
(昨日は)にちようび。
 
 なんとなく休みの日のような気がしてしまいます(した)ね。こういう時こそ気を抜いてはいけないのか、こういう時こそいつも以上に気を抜くべきなのか、まあそもそも僕は普段から(僕にとってはそういうつもりはあまりないのですが)居酒屋で真剣に夢やら別れ話やらを語らう傍らのビールのような気の抜けっぷりなので、こういう時こそ根を詰めるべき、だったのでしょう。そんな願いも虚しく、約束の時間まで怒涛の3度寝と相成りました。やはり日曜日はこうでなくては(平日もろくに頑張れないくせに何を言っているのやら)。
 
 
 周りの話を聞く限り、どうも僕相当燃費が悪いらしく(食事の話ではないです)、同じ仕事量を稼ぎ出すのに人1倍睡眠が必要なようなんです。
 ナマケモノのフレンズ?
 そうかもしれません。
 
 そこで困るのが来年度以降の生活です。ついでに僕の設定をもう少し書き足しましょう
 
  • 低血圧(起き抜けの食後で上100超えません)
  • 低血糖(特に夏場、お茶飲むとふらふらしだします、特に烏龍茶はめまいがします)
  • 貧血(立ちくらみとお友達)
 
 お互い相関しているらしいですが、こんなんで素敵な朝を迎えられるのは10時間寝たか一切寝ていないときくらいなものです。あとアホほどいい酒飲んだ時とか。
 
 このくらい割と誰にでもある。甘えんなちゃんと朝起きろ働け擦り切れろ死ね。って思いもあるかと思います。僕もよく思います。でも怖いですよね同調圧力って。あと他人への体験共有の強要。これは僕もついついしたくなります。「デキるやつに体力のな奴はいない!」とか書いてある本もあります。正直心が折れました。
 別に僕自身これがいい悪いって言うつもりでもないし(言えませんね)、同情してほしいわけでもありません。と言うと突き放すようで嫌なのですが、なんとも有り難さ3:申し訳なさ7くらいな感情になってしまうのでそれはそれで辛いのです。ごめんなさい。
 
 話が逸れました(本筋なんてあるのか)。そんなわけで僕が"普通の大人"として生きていくにはなかなかハードルが多くて高いような気がします。怠惰な性質と体質の問題、どちらにどう相関があるかわかりませんし、そもそも相関があるのかどうかわかりませんが、怠惰とは言いつつ反面怠惰な己をひたすら自責しながら生きていたりもします。それが正しいのかもわかりません。こんな感じで最近は特にストレスが多いです。書いてる僕も頭がこんがらがって負のスパイラルに陥りそうになります。
 
 
 ここで一呼吸おいて。
 
 
 ふう、ということでここからが打開策になるのですが、最早言うに及びません。こんなこと責めたってどうにもならないことは自明でしたね。ここではそもそもそういう過程も含めて嘘偽りなく置いていくつもりだったのでこれでいいと思っていますが。
 何を言いたいのかというと、明日なにかひとつ進められたことがあればいいんじゃないのか、ってことです。1個でもいいですし、いっぱいでもいいですし。今日は奇跡的に早く起きられた〜と思うならできる範囲でそうしていこう(でも明日はもう無理かもな)とか、今日はこれやったぞ、とか、そういうものがなにか一つ以上、あればいいと思うことにしています。やることなすこと人より死ぬほど遅いのは知っています。ペースがガタガタなのも知っています。ですがそれは過去のサンプルを取ってきて言っていることです。現状私たちには残念ながら未来しかやってきませんし、僕にもそうです。
 確かに、今までそんな体たらくばかりを重ねてきたお前の人生がこの先良くなることなんてないぞと言われるかも知れません。しかしそれは予測に過ぎません。繰り返すようですが、残念ながら現状私たちには未来しかやってこないのです。ならそいつを利用して少しずついいことをしたり、少しずつ反省点が生きたと思える1日を過ごせたなら、それは当人にとってはよりよい人生のパターンの構築の一助になってくれるのではないでしょうか。処世術ならぬ、処我術、とでも言いましょうか。そんな感じです。一言で言えば、常に許して、たまに甘やかす、みたいな。ちょっと意味わかりませんね。思い付きで言っているので許してください。
 
 僕の人となりを見ている人ならきっと「何をこいつは能天気なことを」と思うでしょう。そんなあなたに残念なお知らせ。僕はもう少し前に自己否定感の限界ラインに来ていました。元々自己否定は得意な方で、裏を返せば自分に甘ったれるのも得意ということです(ここは今でもあまり変わらないかもしれません。自戒)。ピンとくる人にはくるかも知れませんが、このへんの話は別に書くでしょう(たぶん)。そうやって出来上がる人格にろくなものはありません。結局自己否定というものは負のスパイラルしか生み出してくれません。片足スタンドの自転車をスタンド立てっぱなしで漕ぎ続けるようなものです。あれがもし擦りきれて折れたら自転車立ちませんよね。僕はついこの間までまで気付いたらそういうことをしていたのです。危うく再起不能になるところでした。
 
 そこで、もう1回これを頭から読み返します。否定するのでも、甘やかすのでもなく、受け入れること。こんな考え(自己否定感から生ずる負のスパイラル)を繰り返す方が今からの自分にとっては無駄になること。世の中が面白くなるはずがないということ。
 
 僕は小さい頃から今まで、"反省"という言葉を星の数ほど聞いてきました。世界中の女性の数より星の数に近いかもしれません(過言)。しかし"反省"ってそんな簡単な事じゃない、寧ろ、めちゃくちゃ難しいんじゃないかってことにこの歳になってやっと気付けたような気がします。僕の場合、こういう思考の落とし穴をかいくぐらなければ"反省"という領域にたどり着けない。次に進めない。頭に蛆でも湧いてるんじゃないかってくらいウジウジしてますね。笑えますが、本当の話です。
 
 さて、こんな当たり前のことにこれだけの文量を割いてきた言葉足らずの僕ですが、こうでもしないと生きる気力が湧いてこないのも僕です。
 
 最後にまた話を逸らしますが(鬱陶しい)、当たり前のことでも自分で一回やってみないと"わからない"んですよね。百聞は一見に如かずなんて諺があるのでいちいち掘り下げるつもりはありませんが、ついつい忘れがちなめちゃくちゃ大事な事だと思ったので、メモしておきます。